Auschwitz-1,Poland〜アウシュビッツその1・人と人を隔てるものは目に見えない~

負の遺産と呼ばれる、アウシュビッツ強制収容所。

ポーランドを旅する上で、決して外すことは出来ない場所です。
この地に実際に立ち、幾つもの思考が渦巻きました。
なかなか上手く言葉にまとめることはできませんが、すこし真面目に綴ってみようと思います。

長過ぎる記事になり、文字制限にひっかかっちゃったので2つに分けて書きます。
要約すると、トピックは主に3つ。
・理不尽に人と人を隔てるものこそ、目に見えないのかも
・イスラエルが繰り返そうとしていること
・「夜と霧」ー逆境にあって、意味をもって生きて行くこと



泊まっていたクラクフからバスで1時間ほど。

まず訪れたのは「ビルケナウ」と呼ばれる、アウシュビッツ第二収容所です。
_DSC3862_1.jpg
線路は門を抜け、収容所の一番奥まで敷設されています。
つい先週末にベルリンのGrunewaldという駅に行ったのですが、そこの”Greis17” (17番線プラットフォーム)がここに繋がっていたらしく。
当時はヨーロッパ中から、このビルケナウまで汽車がのびていたようです。

悪名高き、ガス室の廃墟がそこにありました。
_DSC3882_1.jpg
ソ連が侵攻してきた際、ビルケナウの施設や資料は証拠隠滅のため徹底的に破壊されたそうです。
(アウシュビッツのガス室は残っていたけれども、撮影禁止)

森の中の綺麗な水たまりに見えるこの沼は、焼却した死体の灰を処理していたところ。
_DSC3896_1.jpg

そのほとりに建つ建物のなかには、山ほどのポートレートが展示されていました。
_DSC3899_1.jpg
カップル、子供、親子、スポーツのチーム、、、様々な生活とドラマを連想させる写真たち。

そこに写った人々は文字通り、煙突の中からしか外に出る事が出来なかったのです。
_DSC3901_1.jpg



すこんと抜けた、いっそ気持ちがよいほどの天気の下、敷地の端に来たわたしは一つのことに気がついて愕然としました。


外と中を、自由と囚われを、生と死を隔てたものは、たった数条の有刺鉄線だけ。
_DSC3891_1.jpg
もちろんそれらは2重に張り巡らされ、高圧電流も流され、SSが監視に立ってはいましたが。


収容所の内側から、外が見えるんです。
何となく、高い塀に囲まれた刑務所みたいな所なんだと思っていた(アウシュビッツはそうだけど)。
でも、有刺鉄線の向こうに、外が見えるんです。

なんて、理不尽なんだ。

隔絶された場所なら、何も見なくて感情を押し殺したら済んだかもしれない。
でも、決して立つ事が出来ないであろう場所を、すぐそこに見るのはどれ程の絶望だっただろう。


その理不尽さを思う時、今でも世界は、人と人は確実に隔てられていて、しかもその壁は決して目に見えないものだと気づきました。

ベルリンで出会ったシリア人達曰く、殺す側と殺される側は本当に区別がつかないのだ、と。
戦場や極限状況だけではなく、実際にわたしたちが住む社会、半径数メートル以内の知り合い、仕事場、、、そこにも「隔てるもの」は透明に、しかし確実に存在するのです。
ヒトラーや差別を批判する、その同じ人々の間に、あるいはーわたし自身の中に、その隔たりがあるのだと感じては静かに戦慄しました。



広いビルケナウで沢山見掛けたのが、イスラエルの国旗を掲げたユダヤ教の修学旅行生たち。
_DSC3878_1.jpg
アウシュビッツや各地の強制収容所で死亡した人のほとんどが、ユダヤ人でした。
犯罪歴があるわけでもなく、ユダヤ教という、ただそれだけの理由で。
それは歴然たる悲劇、民族の喪失の記憶です。

でも。

何か違うんじゃないか。


いや、違うわけじゃない、間違っているわけじゃない。
ただ、本当に数多くの若いイスラエル人が式典などを行なっているのを見て、わたしは小さな違和感を覚えました。
命を落として行ったのはポーランド人、ソ連の捕虜、同性愛者、そして宗教家、、、ユダヤ人だけではない。

違和感のポイントはそこじゃないか、、、

イスラエルはパレスチナ(そして周辺のイスラム諸国)に何をしているんだい??ってことです。

日本に居る頃、不勉強だったわたしにとって「イスラエル」や「アメリカ」はただの国名、記号でした。
でも旅に出て、様々な価値観を見るにつけ疑問に思うことが増えていく。

ホロコーストの記憶を元に、そして圧倒的な資本と政治力を基に、ユダヤ人はイスラエルを建国しました。
ムスリム諸国のど真ん中の、聖地の一つに無理矢理。
今や核保有国に名を連ねる、強国の一つです。

その是非に関して、わたしはここに意見を綴るだけの知識を持ち合わせていません。
複雑な歴史があり、宗教観があり、利害や国益があることは分かっています。

ただ、今現在イスラエルはパレスチナに対して住域の制限や空爆、毒ガスによる爆撃を続けています。
そしてロマン曰く「ヨーロッパ諸国はホロコーストを見殺しにした負い目から、何も言えないのだ」と。

同じ悲劇が、繰り返されようとしている。
大国間の国益という大義にすり替えて、民間人が殺傷されている。


イスラエル人の友達も居てそれぞれ好きですし、宗教観も素晴らしいものであるとは思います。
ただ、、、わたしに出来ることは無いのかも知れませんが、平和があることを願わずにはいられません。
月並みな言い方になってしまうけれども。


シャトルバスに乗ってビルケナウを後にして、アウシュビッツ強制収容所へ。

関連記事
スポンサーサイト

アウシュビッツ

0 Comments

Leave a comment